私がパチンコ・パチスロ=趣味の一線を完全に越えてしまったなと思った瞬間の一つが10万円負けです。
1日における投資額が10万円をオーバーし、なおかつ、そのままマイナス収支となった日が初めて訪れたのです。
初めての10万円負けをした日
私が初めて10万円負けをしたのは、パチンコ・パチスロを打ち始めて6年目くらいの時です。この頃は、社会人にもなり、学生時代よりも金銭感覚が大きくなったこともあって、投資額が徐々にかさんでいた時期でもありました。
で、実際に負けた日の流れをまとめると、こんな感じでした。
7万円分、同じ台を打ち続ける
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ずっと単発のみ
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確変をようやく掴んだと思えば駆け抜け
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苛立ちがピークを越える
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投資はすでに8万円目。そこから養分あるあるの乱れ打ちを開始
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結果、10万円越えの負け
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おまけに、最初に打っていた台がカマを掘られて連荘している光景に発狂しかける
その頃は投資金額の上限が乱れていた
学生時代は、3万円を上限として遊んでいたのに、社会人になってからは、気づけば上限金額は5万円が基本となり、6万円、7万円と突っ込む日も増えていました。
これは、社会人になって給与が入って金銭感覚が変わったこともありますが、それ以上に、「投資を続けると逆転するかもしれない」という経験を何度もしていたからこそ、ついつい投資を続けてしまうことが、すっかり習慣づいていたせいでもあります。
また、学生時代は3万円も負けたら、「今日はもう終わり。しばらくは運がなさそうだから、パチンコ・パチスロは休もう」と考えていたのに、社会人になってからは、
「出しちまえば関係ない」
「ひいてしまえば設定なんて無視できる」
「地獄の先に勝機がある」
「4万円? たった万発でしょ?」
「8万円? 2万発をひねり出せばチャラでしょ?」
このように、なんだか非常に頭の悪い状態になっていたのです。
そして、当然ながら毎回逆転できるわけもなく、ついに10万円負けの大敗を味わってしまったわけです。
養分は「一万発」を軽く見る
当時の私が大きく投資をするようになった背景には、なぜか1万発=カンタンなことみたいに思っていたフシがあります。
なんというか、うまくは説明できないのですが、いくら負けていても、「万発出せばいいだけでしょ」みたいな考え方をしていて、1万円を紙切れみたいにポンポン使うようになっていたのです。
また、当時は確かに、MAXスペックだったり、スロットも5号機全盛期でしたので、射幸性や出玉の高い台も多く、いくらお金を突っ込んでも、それらの負けを取り戻せる期待値はゼロではありませんでした。
実際のところ、私も4万円~7万円ほど負けている状態から、パチンコなら1万発~2万発、パチスロなら3000~4000枚の出玉を叩き出し、大逆転もしくはマイナス戻してトントンに持っていく、という経験は多々ありました。
北斗や慶次、牙狼なんかは、まさに、その温床です。「万発以上が出しやすい台」として、数多くの打ち手が夢を見ながら逆転したり養分になったりしていたのです。
そして、この感覚になってしまうと、もう後戻りはできません。
大量出玉の経験は色んなリミットを喪失させる
本来、1万発や2万発、ましてや3万発以上ともなれば、そんな簡単に出せるものではありません。
しかし、大逆転だったり大勝ちを経験すると、「どれだけハマっていようとも、たった一回のチャンス・きっかけを掴んで爆連させれば大負けは返せる」ということを、身体が覚えてしまいます。
また、大量出玉を獲得した時の満足度は尋常ではない快感ですので、その依存度が強力になっていくと、だんだん「ヤメ時」すら分からなくなっていきます。
私の場合、たとえば、朝一でスロットを打ち始めて、投資2千円でアタリを引き、出玉が500枚ほど出て、「さあどうするか」となった時、学生時代であればすぐに打ち止めていたものが、依存症の強い時期では、「まだまだ打ち足りないし、朝一で出玉が出ているから、もう少し回さないと大きな出玉を見逃してしまうかも……」などと考えて、ズルズルと打ち続けるようになっていました。
加えて、演出の面白い台においては、朝から打って昼時点で7,000発~12,000発の出玉があっても、「まだまだ足りない。2万発以上をヒネり出してやる」などと、ずっと打ち続ける悪癖もつくようになっていました。
もちろん、打ち続ける時は、パチンコであれば釘のボーダーは計測したり、パチスロであれば設定関係の色んな確率のチェックなどは実施していました。しかし、学生時代であれば、ある程度のまとまったプラスになった時点でさっさと辞めていたのに、気づけば長々と打ち続けるようになっていたことは、昔なら考えられないことでした。
要するに、数時間の遊戯で1万円前後の勝ちをヨシとせず、「とにかくバカ出しさせたい」みたいな病的な考えが、いつの間にか脳みそに備わっていたのです。
結果、私は10万円負けという大敗を味わうことになったのです。
10万円負けた日の夜はすさまじい怒り
社会人の貴重な休日を丸一日使い、給与の1/2~1/3ほどを失って――
ホールを出た直後は、ほとんど茫然自失となっていました。
夜道のアスファルトを歩いて、どこをどう歩いたかわからないけど公園のベンチに座っていて、ボケーっと夜空を見ていました。
色んな想いがグルグル頭の中を巡っていて、しかし負けたものは仕方ないと考えて、ひとまずメシをかきこんで、自宅に帰宅。
風呂に入り、パジャマに着替えて、明日も会社だとベッドに寝ころぶのですが……
敗北の悔しさは、まさにこの就寝直前に荒波のように押し寄せてきます。
「10万円あったら、何ができただろう」
「海外旅行もできた」
「豪華な旅行もできた」
「夜の店でめちゃくちゃ遊ぶこともできた」
「ちょっとした高級時計も買えた」
「家族に素敵なプレゼントだって贈れた」
「もっと有意義に使えたはずだった」
こんな10万円への未練の気持ちだったり、
「パチンコ・パチスロなんてクソの遊びだ、もう二度とやらない」
「●●のホールはクソだ。ぜったいに許さない。二度と行ってやらない」
「二度と打たない、二度と打たない、二度と打たない……」
「辞めてやる、辞めてやる、辞めてやる、辞めてやる……」
といったような、ホールや自分自身に対する、色んな恨みつらみ、激しい憎悪の感情が、炎のように沸き上がっていくのです。
そして、グルグルグルグル、同じような後悔と反省と悔しさの気持ちが何度も繰り返されて、なかなか寝付けず、モヤモヤした気持ちを抱えながら、翌朝を迎えたら会社へ向かいます。
……。
……。
……。
……。
……。
チュンチュン……
そして、次の週末を迎えて、清々しい朝になって思うことは、お約束の
「今日は出せそうだ(ケロッ」
です。
もし、本当にお金事情がやばければ、数週間~数ヵ月は我慢するのですが、しかし、給与やボーナスなどで、懐事情に余裕が出てくると、
「(これまで我慢して仕事も頑張ったから)ぷらっと打てば、今度こそは万発出るかも……」
という、わけのわからない願掛けみたいなことを考えついて、気づけばホールへ行ってしまうのです。
結論、大量出玉の経験がすべてを狂わせる
私が思うに、こういった大負けの経験を繰り返してしまう元凶は大量出玉を獲得した経験です。
パチンコ・パチスロが爆発するタイミングは本当に突然です。それは、お座りしてすぐの時もあれば、半日以上打ち込んでやっとの思いで出せる時もあります。そして、タイミングがまったくわからないからこそ、パチンコ・パチスロを打ち続ける人間は、「粘る」という行動を覚えますし、先ほどの私のように辛抱ならず、他の台を乱れ打ってしまうようなケースも起きてしまいます。
結果、10万円という信じられない高額の負けも現実的に起きてしまうのです。
正直、この頃の私は、完全に廃人状態だったと思います。まさに燃えカスというか、もう地獄の中心地に立っているような状態です。
金銭感覚は完全に狂った状態ですし、ちょっとやそっとの負けでは反省しません。もちろん、負けた瞬間だけは「辞めよう」と強く思うのですが、ちょっと時間が経過したり、給与などで懐に余裕ができてくると、気づけば打っているような状態です。
また、私は一日10万円負けに加えて、もう一つ、「連休をすべてパチンコ・パチスロで浪費してしまう」という一線を越えた依存症にもなっていました。