私がパチンコ・パチスロにハマってしまったキッカケはビギナーズラックの大勝ち

引退体験談

パチンコ・パチスロを完全引退する方法を紹介するにあたって、まずは私、ナナヲがパチンコ・パチスロにハマっていった経緯から紹介したいと思います。(これから引退を考えている人、辞めたいと悩んでいる人にどこか共感してもらえる部分があれば、参考になるかと思いますので。)

初めてのパチンコは大学時代

私が最初にやったのはパチンコでした。

およそ12年前のことです。

当時、大学生だった私は、毎月のアルバイトでお小遣い数万円という世界で生きていました。そんな折、とある大学の先輩に、

「ナナヲ、パチンコいこーぜ☆」

と誘われたことが、すべての始まりでした。(今にして思えば、地獄の始まりです。)

当時はパチスロでいえば、4号機時代の終わり~5号機時代の始まりという時代で、パチンコでいうと、北斗や慶次が大流行し、アニメとタイアップする新台が増えていく矢先の時代でした。

もれなく自分もアニメ原作の好きな台があり、内心、ちょっと興味があったので、それを打ってみたかったからセンパイについていった、という感じです。

秒で溶けるお金にビビりながらも……初めての大当たり

いざホールへ到着し、最初は当然ながらサンドの入れ方もよく分かっていません。

先輩の動きを見て、ドキドキしながら5千円を入れて……それからあっという間に千円、二千円と溶けていくことに、かなりビビりました。

なにしろアルバイトで働く数時間分もの給料が、ものの数分~十数分で溶けていくのですから、学生のノミ心臓には、とても耐えきれません。

(まあ、パチンコは話のタネにやってみただけだし、今日で終わればいいか……)

などと憂鬱げに考えていたら、突如として、なんだか騒がしい演出が発生。

「ナナヲ! それアツいぞ!」

などと、横から先輩顔面のリアルカットインなアドバイスを頂きつつ、よく分からずにボケーっと静観していたら、なんと、初アタリ。

投資額は4千円ぽっちです。

そして、パチンコお約束の確変抽選が始まり、

(煽る音楽)

(煽る演出)

……

……

……

キュイキュイキュイキュイキュイキュイーーーーーーーーーーーーン!!

という具合に、あっさり一発でMAXスペックの確変ゲットをしたのです。

ビギナーズラックの大爆連で脳汁ブシャー

初の確変後、連荘はまったく止まりませんでした。

初心者特有の店員さんを呼ぶボタンに戸惑ったりしながら、しかし、台の大当たりは一向に鳴りやまず、連荘、連荘、連荘、連荘、連荘、連荘……

気づけば、シマで一番出しているのが自分で、隣の先輩もただただ驚くばかり。

「ナニコレ、すごく楽しい」

と、快感を覚えながら、結局、その日、おそらくホールでも一番レベルのバカ出しをして、結果は大勝でした。

約3ヶ月分のアルバイト給与がゲーム感覚で手に入ってしまった感動

初めて打った時の収支は、今でも忘れられない、4千円投資の約3万発でした。

そして、センパイが声かけてくれたおかげで打てた、ということで、センパイの負けたマイナス分だけご祝儀で払ってあげて、それでも収支は+10万オーバーです。

最初は、「アルバイトの数時間が一瞬で溶けていく」と考えていたのですが、終わった時の喜びは「アルバイトの2~3か月分の給与が一瞬で手に入った」という禁断の思考となっていました。

私がパチンコにハマってしまったキッカケは、このように完全なビギナーズラックだったわけです。

当然、パチンコにハマり出す

一気に大金が手に入ってしまった喜びと、脳汁という快感を覚えてしまった私が、パチンコにハマってしまうことは、当然のことでした。

当時の友人の中には、タバコの煙がキツイ、音がうるさい、目がチカチカする、ずっと座っていて退屈、などを理由にハマれないという人たちがいましたが、自分はそれらすべてに耐性があったことも、運の悪いことでした。(この時、他の友達同様、もう二度とやらない、という具合になれれば良かったのですが……たらればの話です。)

かくして、その後、大学生ということもあって、パチンコはもちろん、麻雀などにもハマり、またアニメやゲーム好きということもあって、そのままの流れでパチスロにも自然とハマってしまっていったのです。

スタンド使いのごとく、ギャンブル友達は互いに惹かれ合う

私が光速でパチンコ、ギャンブルにハマっていった理由の一つに、そういうクズな趣味を持つ人たちは光速で仲良くなりやすく、また、非常に楽しい人たち(性格破綻している人たち)ばかりが多い、という背景もありました。

大学あるあるですが、どこにも麻雀・ギャンブル好きの人はいて、そういう趣味を持っている人、また、これから始めたいと思っている人は光速で仲良くなってしまうという法則があるのです。

そういった背景もあって、もうズブズブと沼に浸かっていってしまったわけです。

4号機の終わりで辞めていく人たちに気づけなかった愚かさ

少し視点を変えて話しますと、当時は、4号機から5号機への激変の時代で、おそろしく機械割が下がってしまい、パチスロで食べていた人たちが次々と辞めていった時代でもありました。

大学を辞めてスロプロになった友人なども「これからはもうやってけないから、あんまりハマらないほうがいいよ」などアドバイスをくれていたので、この時に自分もきちんと機械割などについて考えて、「この先続けても損するだけだ」と早めに見切りをつけて辞められたら良かったと思います。

しかし、そこが初心者。つまり、バカなんですね。

その頃、けっこう調子がいいこともあって、あんまり負けてもおらず、「自分は原作愛の、あくまで趣味打ち。しかもプラスになっているから、辞める理由はない!」などとイキっており、そのまま打ち続けてしまったのです。

また、この頃、5号機の交響詩篇エウレカセブンという名機さえリリースされなければ……と、いつも思います 笑

以上、こういった流れで、私、ナナヲはパチンコ・スロットにハマっていってしまったわけです。

教訓としては、「大学のろくでもないヤツとは関わってはいけない」です。

(もちろん、そういう世界に踏み込んでいった自分が一番ろくでもないし、ただの自己責任なのは分かった上での発言です。)

続き

次の第二章からは、私がドンドンのめりこんでいった体験談を紹介したいと思います。

ゴミクズ