「パチンコ・スロットを辞めよう」の考えは「パチンコ・スロットを強く意識している状態」と気がつく

引退体験談

私が完全引退をするまでの過程において、大きな発見だったことは、「辞めよう」と思っているうちは、まだまだパチンコ・パチスロを強く意識している状態であると気づいたことでした。

「辞めよう」の気持ちでは「辞められない」という気づき

私は、6~7年目くらいから、ずっと「辞めよう」と思ってきて、結局は12年間、辞められませんでした。ですので、この期間は、「辞めよう」と思えば思うほど辞められなくて、とても苦しい時期でした。

だんだん諭吉は紙切れ同然に感じてきますし、お金の価値観も薄れていって、勝とうが負けようが気分は最悪になり、それでも辞められず、ただただ惰性で打ってしまう日々が続いたのです。

こんな地獄のような心境の中で、私が抜け出すキッカケを得たのは、「辞めようと思っている=パチンコ・パチスロを意識している状態なのでは?」という気づきでした。

なぜ、そんなことを考えたかと言うと、そもそも人間は自分自身がまったく興味のないことであれば「やりたい」なんて思うことはなくて、「最初からやらない」という状態になることに気がついたからです。

人は興味のないことは自然とやらない

私の場合、たとえばラグビーやアメフトなどの激しいスポーツは1ミリも興味がなくてヤル気がまったく起きませんし、たとえ無料の試合観戦であってもわざわざ会場まで行きません。また、音楽は好きでも演奏することには興味がありませんし、食べるのは好きでも料理は面倒という性格です。

そうして自分自身の趣味を振り返っていくと、大学生時代にはサッカーやダーツ、ビリヤードなどにもハマっていましたが、会社員になって運動不足や飲み会中心の生活になっていくと、だんだんと興味が薄れていったことを思い出しました。小学生~中学生の頃にハマっていた、ヨーヨーやミニ四駆、家庭用ゲームなども同じです。気づけば、やらないようになっていました。

この事実は、当時の私にとって、目から鱗のような大発見でした。

なにしろ、私は、過去の趣味において、わざわざ固い決意を抱いて「辞めよう」などと思わずとも、自然と飽きたり、「なんだかなぁ」という気分になって、自然と、そしてきっぱりと「辞めること」ができていたからです。

このおかげもあって、私は、これまでに思っていた「辞めよう」という想いは、じつはまったくのニセモノなんじゃ……という疑いを自分自身にかけることができるようになったのです。

「辞めよう」というのは、そもそも「辞めたくない気持ちがあるから出てくる言葉」

これまでに何度も繰り返していることですが、パチンコ・パチスロで大負けした時に「辞めよう」と思うのは、金銭的理由だけが問題なのであって、内心では、まだまだ打ちたいと思っている証拠でもあります。

そして、打ちたいと思っている気持ちが心の底に残り続けているからこそ、なにかしらの誘惑に乗ってしまって、ついふらっと打ってしまい、また再発・リバウンドとなってしまうのです。

このことに気づいてから、私の「辞めよう・引退してやる」に対する考え方は大きく変わりました。

それはつまり、むりやり制限をかけたりして「辞めよう」と思うのではなくて、「パチンコ・パチスロに無関心になることが引退の近道なんだ」と考えていくようになったのです。

「辞めよう」ではなくて目指すべきは「飽きる」

上記の考えに気づいてからは、私は「辞めよう」と思うのではなくて、どうすればパチンコ・パチスロに飽きることができるだろうか、と考えていくようになりました。

そしてもちろん、今夢中になってハマっているものをいきなり飽きることは非常に難しいことです。ゲーム依存の子どもからゲームを取り上げて、それだけでゲームへの興味がなくなるかといえば、そんなわけはありません。むしろ、逆上して、さらに依存しかねないでしょう。

では、いったいどうすれば良いかというと、私の場合の話になりますが、その答えは「12年分の記録(収支データ)」にありました。

これまでに、どれだけの時間、パチンコ・パチスロを遊戯し、どれだけのお金を使ってきたのか、あらためてきちんと徹底的に集計してみた結果、その統計データが、一気にパチンコ・パチスロへの想い(酔い)を醒ましてくれたのです。

続く!

ゴミクズ