大学時代から打ち続けて、そこから12年分の収支データがあるということは、それすなわち、私の年齢は30代になっている、ということです。
30代――
これは冗談抜きに、正真正銘、マジモノの30代です。
つまり、私は若輩ながらも人生を振り返ってみれば、かけがえのない20代の輝かしい時間の大半を、パチンコ・パチスロに浪費してしまったのです。
あっという間に駆け抜けた20代。この調子で30代も終わるのか?という恐怖
私は、パチンコ・パチスロをやったことがすべて100%無駄だった、とは思っていません。
というのも、パチンコ・パチスロでストレス解消になった日もあれば、友人たちと遊んだり、色んな思い出は確かに生まれているからです。少なくとも、6年目までの間であれば、パチンコ・パチスロとは健全な距離感を持って、楽しめていたように思います。
しかし、問題は、あくまで7年目以降です。
その頃は、常に「辞めたい・辞めなきゃ」という気持ちを持っていながら、なぜかついつい惰性で打って再発・リバウンドしてしまい、ストレスでずっと気持ち悪い状態になっていました。これはもう、まったくもって健全な趣味とは言えませんし、なんの生産性もない行為です。なんなら、自傷行為のようなものです。
そして、そんなメンヘラな行為をズルズルと12年目まで続けてしまったということは、激しく恐怖でもあります。
なぜならば、繰り返しになりますが、私はもうとっくに30代に突入しているからです。
そう。
30代になった事実と、12年分の負けを記録した統計データ。
この二つは、私の頭の中で、大きく警鐘を鳴らしてくれました。
「今までと同じ生活を続ければ、このまま40代になるだけだよ」
と。
パチンコ・パチスロで失った時間はもう二度と取り戻せない
パチンコ・パチスロを打ち続けている時の心理として、「勝ちを取り戻す」という感覚があると思います。
しかし、私からお伝えしたいことは、「パチンコ・パチスロはお金を取り戻すことはできても、失った時間は二度と取り戻せない」ということです。
これはもちろん、パチンコ・パチスロに限らず、他の趣味でも同様のことです。
ただ、パチンコ・パチスロだけで時間を過ごしてしまえば、その後の人生に残る思い出は、「台の演出」と「収支金額」、それから「パチンコ・パチスロで様々に葛藤した気持ちの変動のみ」です。
それで、自分の人生に一片の悔いもないのであれば良いのですが、私の場合は後悔しまくりでした。
結果、最終的に私が感じた気持ちは、「喪失感」でした。
パチンコ・パチスロ自体が一気に虚しくなる
私はこれまでに、何度も「辞めよう」と思い、そして失敗をしてきました。それは結局、パチンコ・パチスロ自体への興味・関心を切り離せないから、どうしても引退ができなかったのだと思います。
しかし、今回のように、12年分の収支データから得られた知見は、ものの見事にパチンコ・パチスロへの興味・関心を打ち砕いてくれました。
これはもう、「打ちたい」とか「打ってはいけない」とか「辞めたい」とか「辞められない」とか、そういう感情ではありません。
今までの経験が、一気に「虚しい」と感じるようになったのです。ただただ、とにかく、ひたすらに「虚しい」と感じるようになったのです。
そして、「虚しい」という感情は、「急激な飽き」をもたらしてくれました。これまでの色んなことについて、一気に冷静な気持ちで考えられる思考回路に切り替わったのです。
そもそもどうしてハマってしまったのか考えてみる
私は、冷静になった頭で、今一度、パチンコ・パチスロに夢中になっていた理由を探ってみました。
「そもそも、自分はどうして、パチンコ・パチスロに執着していたのか。」
「なぜ、負けているのに打ち続けていたのか。」
「どうして辞めようと思って辞められなかったのか。」
こういった疑問を一つ一つ並べて、整理していった結果、答えはとてもシンプルなものでした。
それは、長年パチンコ・パチスロを打っているにも関わらず、私がきちんとパチンコ・パチスロの仕組みを認識していなかったことがいけないのです。
正しくは、頭では「パチンコ・パチスロに必勝なんてない」と分かっているのに、実際に打っていると「どうしても負けを受け入れられず無理矢理に勝とうとするからダメだった」ということです。
もう一度、繰り返しますが、パチンコ・パチスロに必勝なんてありません。それなのに、パチンコ・パチスロを打っていると、なぜか必勝できるような気分になる時があるから、辞められなくなってしまうのです。